俺と自分と時々、私

一人称について学びました。
文学におけるお話ですが。
日本における一人称は多すぎてそれぞれニュアンスが付随してしまっているというお話。

考えてみればすぐ納得できるお話です。
「俺」って言えば男っぽいし、「僕」って言えばそのイメージは緩和され、公的な意味合いが強くなるし、「おいら」とか使うもんなら若干ひょうきんな感が出ますね。
「俺」1つとっても「おれ」「オレ」「俺」と平仮名、カタカナ、漢字に変えるだけでも受けるイメージは左右されちゃいますね。

で、話すときは「俺」でいいんですけどね。
書く時がいささか厄介で。
文字しか伝わらないコミニュケーションの場合、よりその一人称の選択の意味が強く意識させられてしまうのですよ。

加えて、一人称だけじゃなく語尾にも気を使います。
一人称と語尾。
この2つが文字限定コミニュケーションにおいて、その筆者の認識を左右する重要な要素ではないかとちょっと考えています。

というよりは、自分がその考えに捕らわれています。
なんとなく、文字にする場合は中立性というか客観性のもつ一人称を使いたいと思ってるので「自分」を使ってるんですけど。
「私」でもいいんだけど。
ちょっとフォーマルすぎるかな…