評価の答え合わせ、迎合

直木賞に輝いた「海の見える理髪店」。

短編集らしいし手にとってみた。

最近、長編に挑む気力が中々湧かないもので、短編集ならサクッと読めちゃうかなという魂胆。

 

いつからか、物語を読んでいると感情移入しすぎるようになった、気がする。

登場人物の状況に自分を置いてみてどう感じるかをしばらく考えるようになった。

それをつまりは余韻と呼ぶのかもしれないけど、そのせいで読後もかなり感情が引っ張られて戻ってこなくなることがままある。

特にそれは切ないストーリーに顕著で、読んだすぐ後にアップテンポの曲とか聞けない。バラエティ番組とか見られない。

とにかく浸って中々乾かない。

 

この作品の各話を読み終わった後も、自分の内面がじんわりと切なさや儚さ、少し見える希望に濡れていくような感覚を味わった。

どの話も心を持って行かれてしばらく当てられるように、何かを残していく。

短編集とはいえ、読後の各話の存在感は際立つ。

短編であることが、内容の薄さに結び付けられるわけではない。

 

そんな作品が直木賞に選ばれたわけだが、読み終わってから改めてその事実を鑑みると肩透かしを食らった気になる。

おこがましいのだけど。

自分の中で直木賞とは、テクニカルで、ストーリーテリングに優れていて、構成が練られており、要するに技術的に優れた作品に贈られるものだというイメージが形成されていた。

何を技術と定義するかはイマイチ説明できないけれど、「何者」や「容疑者Xの献身」といった過去の受賞作を見てそういう印象が築かれている。

「海の見える理髪店」はそういう技術的な要素があまり見られなくて、短編集であるが故か1つの技術が大きな驚きを産まなかったという感触がある。

もちろん前提として自分はまだまだ文学見習いもいいところであって、凄みをただ感じ取れなかっただけという可能性がある。

 

いや、そう捉える他ない。

 

直木賞選考委員は宮部みゆきなどといった著名な作家さんで構成されている。

確かな目がある人たちが選んだ作品が優れてないなどと声を大にして言えるだろうか。

所詮、自分は大した眼力も読解力もないペーペーである。

そんな自分が大作家陣に対して「お前らも大したことないな」なんて言えるわけもなく。

見落としがあるのだろう、おれの見方が悪かったのだろう、そういう方向へ思考が向くのは当然だと思っている。

(文学に間違いも正解もないかもしれないが)間違っているのは自分だと、そう解釈するのが自然だと。

委員会の評価は絶対。

それに賛同できない自分は間違っているのだ。

だから、委員会の方々に文句を言おうなんて、そんな、滅相もない。

まだまだ精進します。

 

これから先、もし、その絶対に楯突こうと思えた時は、その時は、自分なりの評価基準が定まった時と言えるのかもしれない。