カテゴライズ
竹宮ゆゆこ著「砕け散るところを見せてあげる」を読んだ。
「とらドラ!」を書いた人らしい。
カバーイラストは浅野いにお。
帯の推薦文には伊坂幸太郎と市川沙耶。
レーベルは新潮文庫nex。
どうやらライトノベルではないらしい。
東京駅の三省堂書店での推されようを見たときには、ライトノベルだと高をくくったものだった。
イラストカバーにライトノベル上がりの作家。
判断材料はそれだけだったけど、ライトノベルを大して読んだことのない人間がそう思ってしまうには十分だった。
長いタイトル、特徴的すぎる登場人物の姓名、イラスト…
大体このあたりを見ると「ラノベっぽい」と感じることが多いかもしれない。
だからこそ、ライトノベルが一般の文庫と同じ棚でここまでプッシュされるものだろうかと不思議に思ったのだった。
サイトを見てみると、新潮文庫nexというレーベルはライトノベルではない、と新潮社は言っている。
若者向けではある。
だが、それでもライトノベルではないと主張している。
イラストカバーでライトノベル上がりの作家を起用してはいるけど、ライトノベルではないのだと。
果たしてライトノベル、とは何なのだろうか。
ライトノベルというカテゴリーは、どのように分類されているのだろうか。
上記の要件や内容まで考えてライトノベルか否かというのを論じることはできるかもしれない。
しかし、今回の場合このカテゴライズは出版社側の主張するものであるということを注視せねばならない。
掲載雑誌やレーベルで対象読者層を限定するというのは今に始まったことではない。
少年誌があり、青年誌があり、少女誌があるようにマンガの世界ではごく当たり前のことである。
小説というのはどこか堅苦しい印象を受けるせいか少年少女たちには敬遠されがちなのではないか。
だから、その子たちに読んでもらうためにライトノベルと謳い、手に取るハードルを低くする。
イラストをつけて、キャラクターを特徴的にして、会話を多く、かっこよく(偶にイタイタしく)したり。
ライトノベルは若者の読者層を想定した、マーケティング戦略といえよう。
そんなライトノベルという語はもはや一般世間に浸透して久しい。
おかげでライトノベルは固定的なイメージがつきすぎてしまった。
同時に固定観念もある程度染みついてしまっているように思える。
「ライトノベルはオタクが読むものだ」というように。
このようなイメージがつきすぎると、読者の選別が勝手に起きてしまう。
オタク文化はまだまだ大衆文化ではないだろう。
ライトノベルと呼ばれている本を手に取ることにはネガティブな感情が付きまとうだろう。
ライトノベルというカテゴリーはより大衆向けの作品には合わないものだ。
だからこそ、新潮社は新しい若者向けのレーベルを打ち出したのだろう。
新潮文庫nexはより大衆寄りの若者に向けている。
推薦文のラインナップを見てもそれが見て取れる。
ライトノベルはもはや若者向けではない、ライトノベル好き向けのカテゴリーだ。
だからこそ、ライトノベルではないと口を酸っぱくしている。
ライトノベルほど、読者層を狭めないために。